Jordan Sarkisian
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人生に疲れた。

死にたい。自殺したい。

もう生きていたくない。

こんなに辛いなら死んだ方がマシだ。

わたしたちの人生にはいろんな辛いことがあります。

人の辛さにはその人にしか分からないこともあるかもしれません。

人は一人で死んでいく運命だから、生まれながらにして孤独だなんていう話も聞きます。

 

孤独に生きた気持ちを、赤裸々に書き残した小説家がいます。

太宰治です。

太宰治『人間失格』には、その生の苦しみが記録してあります。

こんなにも孤独で辛い小説なのに、多くの日本人に読まれ、いまでも多くの若い人たちから共感され、支持される人気の小説です。

孤独なはずの小説がこれだけ多くの人に支持されているのは、わたしたちの孤独は多くの人が抱えている孤独だからです。

そう考えると、孤独であることは孤独ではないのかもしれません。

 

今回は太宰治の遺作である『人間失格』から自殺したい、死にたい時に読むと共感するだろう名言をご紹介します。

 

自殺したい、死にたい時に救われる太宰治・『人間失格』名言集

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“この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。”(新潮文庫の人間失格ではP7。以下ページ数は新潮文庫のもの)

太宰治の晩年の顔は、のっぺらぼうのような印象のない顔をしていました。

その顔は死人よりもっと印象のない顔をしていました。

 

“恥の多い生涯を送って来ました。”(P9)

心中未遂をしたり、自殺未遂をしたり、アルコール中毒になったり、モルヒネ中毒になったりしたことを言っているのでしょうか。それとも道化を見破られたことを言っているのでしょうか。

太宰治は生きること自体を恥だと感じていました。

 

“人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。”(P11)

この言葉を読んで、私はソクラテスの「生きるために食べよ、食べるために生きるな」という言葉を連想しました。

太宰治は食欲というものを感じたことがなく、生きたいという願望がそもそもなかったようです。

 

“人間の営みというものが未だに何もわかっていない”(P11)

人間の生活・暮らしが太宰には分からず、それが最後まで彼を苦しめました。

まったく生活というものが何なのか、何のためにあるのか、なぜ生活しなければならないのかが太宰には分かりませんでした。

 

“自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾し、呻吟し、発狂しかけた事さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。”(P12)

太宰がいかに人と異なった価値観を持ち、それにより苦悩したかが分かる部分です。

太宰にとっては生きることは幸福なことではありませんでした。死ぬことが楽になれることであり、幸福だと考えていました。

 

“(道化は)自分の、人間に対する最後の求愛でした。”(P13)

道化というのは、太宰がわざとドジにふるまって他人から親しみをもってもらおうとしたことです。道化によって人と繋がろうとしましたから、人間への愛情表現だったんですね。

太宰をいじらしく感じます。

 

“自分は、これまでの生涯に於いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。”(P27)

太宰が死ぬことは幸福だと考えていたことが、この文章からよく分かります。

 

“情熱とは、相手の立場を無視する事かも知れません”(P42)

鋭い洞察です。たしかに情熱というのは反対されたり、立場を異にする人がいたりしても自分のしたいことを押し通すような気持ちなのかもしれません。

 

“弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。”(P58)

幸福をおそれる気持というのは共感できる人も多いかもしれません。

幸福が続かないことをおそれてしまうんですよね。

 

“自分には、貧しさへの恐怖感はあっても、軽蔑感は、無いつもりでいます”(P82)

太宰はお金持ちの家に生れていますので、よけいに貧しさを恐怖していたのでしょう。

恐怖と軽蔑とは別のものです。自分の心情をとても正確に表現しています。

 

“自分は、どれほど皆を恐怖しているか、恐怖すればするほど好かれ、そうして、こちらは好かれると好かれるほど恐怖し、皆から離れて行かねばならぬ”(P88)

太宰の歯がゆい思いが感じ取れます。

恐怖するほど、太宰は恐怖ゆえにますます他人のご機嫌をとろうとしたのかもしれません。

するとさらに人から好かれるので、もっと人が怖くなります。

 

“世間とは個人”(P91)

世間なんてものはありそうで存在せず、個人でしかないということです。

太宰は世間とは個人だと思うようになってから、少し気持ちが楽になったと書いています。

 

“荒っぽい大きな歓楽(よろこび)を避けてさえいれば、自然また大きな悲哀(かなしみ)もやって来ないのだ。”(P93 上田敏訳のギイ・シャルル・クロオという人の詩から)

人間失格のなかで引用している詩です。起伏の大きな人生と小さな人生とがあるという考え方です。凸凹な人生をならすと、みんな平坦になるという考えです。

 

“個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して人間に服従しない、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを称えていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋は世間でなくて、個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣いする事なく、謂わば差し当っての必要に応じて、いくぶん図々しく振舞う事を覚えて来た”(P95)

なかなか難しい表現ですが、人間のエゴイズムを表現しているように思えます。

太宰が世間とは個人だと考えるに至った思考の経緯です。

人間はみんな個人、個人のことしか考えていないのだから、世間なんてものは存在しないってことです。

 

“神に問う。信頼は罪なりや。”(P117)

人を疑うことを知らない無垢な妻ヨシ子が、人を疑うことをしないがゆえに男に襲われた後に、苦悩して考えている言葉です。

人を信頼していたからこそ襲われてしまった妻を太宰は思い、信頼することは罪なのだろうかと考えたようです。

 

“自分はいったい俗にいう「わがままもの」なのか、またはその反対に、気が弱すぎるのか、自分でもわけがわからないけれども、とにかく罪悪のかたまりらしいので、どこまでも自らどんどん不幸になるばかりで、防ぎ止める具体策など無いのです。”(P124)

太宰の悲しい性(さが)を表しています。

太宰は太宰なりには懸命に生きましたが、どうしても不幸になっていくばかりでした。

不幸になっていくのは、自分がわがままだからか、気が弱すぎるからなのかと色々考えたのでしょう。

 

“死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ”(P129)

晩年の太宰はこのように考えていたのでしょう。

生きていること自体が間違いだと考えていました。

 

“自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。”(P131)

太宰はやさしい人だったんだろうなとこの文章を読むと思います。

拒否できなかったり、臆病だったりするがゆえに太宰は不幸になってしまったのでしょう。

 

“神に問う。無抵抗は罪なりや?”(P132)

気違い扱いをされ、脳病院に軟禁された時に浮かぶ考えです。

太宰は、自分は気が狂っているわけではないと思っていました。

でも脳病院に軟禁されても、それに反抗しようとはしませんでした。

その自分の無抵抗であることが罪なのだろうかと考えました。

 

“いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。”(P134)

『人間失格』が好きな小説だという友人が、この小説はこの文章を書くためにすべてが書かれたと言っていました。

太宰が最後にたどり着いた境地です。

 

人間失格に興味はあるけど、小説じゃ読みにくいんだよなという方におすすめなのが漫画です。

漫画だと、難しい話もさくさく読めてしまいます。

もちろん漫画で読んでも、ストーリーはしっかり理解できますよ。

漫画で『人間失格』を読んでみようかなという方はこちらからどうぞ


人間失格 [ 太宰治 ]

 

 

死にたい、自殺したい気持ちは変なんかじゃない

Hsuhanyin

太宰治は自殺してしまいましたが、わたしたちは生きていきましょう。

この太宰治『人間失格』の名言集を書いたのは、もしかしたらこの名言に共感することで救われる人がいるかもしれないと思ったからです。

 

自殺の話をすることをタブーとするのは間違いだと私は思っています。

オープンに自殺についても話し合える環境づくりが大事です。

自殺を考えている人は、その胸のうちを話せるだけでも少し救われるはずです。

自殺をタブーとして遠ざけようとすることは、自殺について悩んでいる人も遠ざけることになります。

 

わたしにも死にたくなるくらい辛いことがありました。

きっと人が聞けば、そんなことでというようなことかもしれないことでした。

そんな時、わたしは信頼している人に気持ちを打ち明けました。

こんな話をしていいのだろうかと不安な気持ちもありました。

でも、その人はわたしの気持ちを受け入れてくれました。

人って、誰かに自分の気持ちや状況を知ってもらうだけで安心するものです。

 

昔、ヨーロッパだったと思いますが、はじめて生理を迎えた少女がなにか重大な病気と思い込み悩んだあげくに自殺したことがありました。

この少女は自分の辛い状況や気持ちを誰かに打ち明けることができたなら、自殺せずにすんだことでしょう。

 

悩んでいる気持ちを、誰かに話すことはまさに生死をわけるくらい大事なことです。

どこにも打ち明けるところがなければ、このブログのコメント欄にあなたの辛い気持ちを吐き出していただいてもかまいません。

真摯にお返事をいたします。

 

この名言を読んで死にたい人、自殺したい人が共感し少しでも救われることを願っています。

 

この記事を読んで、太宰治の『人間失格』がどんな小説か気になった方はこちらの記事がおすすめです。

http://iiiyashi.com/033/

この記事さえ読めば、あなたも10分で人間失格通になれます!

『人間失格』を読んだ人と「へー、君も読んだんだ!」という顔をして余裕で話せます。

 

太宰治に興味を持った方なら、こちらもおすすめです。

http://iiiyashi.com/035/

 

 

太宰のように難しい言葉でなく、もっと身近な人の言葉を読んで癒されたい方はこちらの記事を読んでください。

http://iiiyashi.com/026/

青森県のリンゴ農家の方が人生の窮地に立たされた時の言葉です。

私たちが生きていると、みんな同じような苦しい状況になることがあると思います。

だからこそ、胸に響く言葉です。

当ブログの人気記事でもあります。

 

胸に響く言葉といえば、歌の歌詞も胸に響いてきますよね。

人生が苦しい時に聞きたいおすすめの歌があります。

http://iiiyashi.com/027/

辛い時に聴くからこそ、よけいに感動する歌を紹介しています。

私も辛い時によく聞いています。

 

 

この記事を書いた奴は、さぞや太宰治ファンなのかもしれません。

どんな奴が書いたんだと興味を持っていただけた奇特な方がいらっしゃいましたら、こちらの記事を読んでみてください。

太宰治のマネ

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